妄想農家の気ままなブログ

仙台でソーシャルファームを目指している園主の気ままなブログです

嫌われる勇気

今日は、仙台の沿岸部で久しぶりにまとまった雨が降っています。

 

まとまった雨が降るのは、今年2日目。

前に降ってからは約1ヶ月と1週間ぶりです。

 

この時期は、沿岸のうちの圃場がある辺りは雨が降らないことが多く、乾燥します。

仙台の街中で降っても沿岸部は快晴(でも強風は吹く)ということがざらです。

 

この雨で畑に植えてある葉物野菜が少しでも元気になることを願いつつ、週末から風邪をこじらせているので、今日も引きこもりながら、買い溜めた本を読み漁ります。

 

ようやく読み始めることが出来たのが「嫌われる勇気」。

ずっと気になっていました。

 

私自身、人と関わるのがうまくない、というかものすごく疲れるというか。

見知らぬ人と長時間会ったり人混みの中を歩いたりすると、翌日まで疲労が残るくらい重症です。

 

若い頃は、人見知りせず、どんどん人脈を広げていく人を羨ましくさえ思うこともありました。

 

そんな自分を分析すると、無意識の中で「人に嫌われたくない」とか「認められたい」という欲望があったのだろうと思います。

 

幼い時、よく父親や親戚から叱責されながら育ってきました。

特に、父親は不機嫌になりやすかったので、怒られないように、不機嫌なときはキレないようにしていた記憶があります。

(今は、父とは普通に会話しますし、「あの頃はすまなかった」と言っています)

 

それがあってか、物心ついたときから、人の顔の表情の変化や感情にものすごく敏感で、相手が不機嫌にならないように(自分なりの)気を遣っては、自分自身疲労困憊になるという状態を繰り返していました。

 

特に、20代は「いい人になろう」とか「仕事ができる人になろう」とか無意識に思っていたフシがあります(今だからそう思えるのですが)。

なので、会社員(リハビリの仕事)をしていたときは、毎日ふらふらでした。

 

ちょうど畑をし始めてからでしょうか。

相変わらず人の表情の変化や感情には敏感ですが、徐々に相手の機嫌をとろうとは思わなくなりました。

 

どうしてなのかを考えた時に、これも自然の中で暮らすようになったからかなと思っています(前にも似たようなことを書きましたが、、、)。

 

自然の中で暮らすようになって「受け入れること」を学んだのです。

自分自身を受け入れること、他者を受け入れること、自然を受け入れること。

 

人は自然の中で工夫しながら生きてはいけますが、自然をコントロールして生きていくことは出来ません。

1次産業を生業としていくには、自然を受け入れ、その中で試行錯誤しながら生きていくことになります。

 

そんな生活をしていると、かつての自分自身の恥じらいや汚点もだんだん受け入れられるようになり(とはいっても心乱れることは多分にありますけど)、また他者のことも受け入れられるようになってきました。

 

アドラーの本でも自他を「受け入れ」、他者から嫌われる勇気を持つことで、自分らしく生きられるようになると書かれています。

 

あなたは嫌われる勇気を持っていますか?